洋画を字幕で見るか、吹き替え版で見るかは、それぞれであっていいが、字幕が読めないので、なんでも吹き替えにするというのは、ちょっと情けないのではないか。
「ソ連」や「ナチス」を知らないというのは論外として、字幕が読めないので、言葉を少なくし漢字も最小限にせざるをえないという。
映画は「楽しければいい」というのは当然だが、そこには広い意味で、未来や現在や過去という時代を感じ取る楽しみもあるはずだ。映像が強烈であればあるほど、言葉も強いものでなければならない。
漢字でいえば、これも簡素化し簡便化しようという動きがずっと続いてきた。「難しいもの」は避けようという流れだ。これに対して、産経新聞の塩原経央さんが「新国語断想」で、こう言っている。
「文字はそれによって思いを巡らし、思いを伝えた遠い祖先の知恵や知識をそのままにとどめている。(中略)一時代の便宜に供するためだけにあれこれいじくり回すのは、現代人の傲慢というものである」
「それでもというなら、字種や字訓を大幅に増やすか、制限色を完全に取り外して、ルビ活用を明記する配慮が望まれる」
「漢字は難しいもの」というのは先入見にすぎないことも塩原さんは指摘している。なんでも簡便にすればいいというものではない。効率化すべきところと、困難でもあえて噛み砕くべきところとを見分けることが肝心だろう。
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なんでも簡単にすればいいというものではない
2008年05月12日 14:27 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
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産経新聞社で社会部記者のあと、朝刊編集長などを経験。その後、畑違いの総合企画室、総務局で仕事をし、2008年6月からニュースペース・コム社の社長。これまでの職業経験からいえば、これも予想外の展開。しかし、広告業界、それもクロスメデイアを標榜する世界に足を踏み入れて、いろいろと勉強しながら、結構楽しんでいます。
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