「白い恋人」が販売を再開する。少しづつ売れ行きも回復していくのだろう。反省が生きれば、それはそれでいい。しかし、それにしても「船場吉兆」の、偽装を現場のパート女性に押し付けるという取締役とは、いったいどうしたことだろう。
内部告発の制度が整って、おかしいと思う声が表に出るようになった。この重大性を経営陣のほうが、十分に認識しえていないというのが、船場吉兆のケースだろう。あれほどコンプライアンスがいわれながら、売上の論理が優先する。
「味」を何よりも優先するのが、伝統と格式を誇る料亭の哲学だろう。これがあれば偽装はありえない。仮にあったとしても、常態化したり、会社ぐるみであったりはしない。「味」を何よりも大事にする「のれん」の価値は、哲学としての精神的な価値であって、同時に経済的価値でもある。
この「のれん」の経済的価値は、トータルとしての企業価値であり、売上を高めるという論理と相反するのではなく、直結している。企業の「業績」という数字の価値が優先すると、企業の精神的な価値がうすれていく。しかし、企業を含む現在の経済社会は、発言する「消費者」の存在をますます大きなものにしている。そこでは、企業の精神的な価値こそが、その企業にとっても大きなものになっていくはずなのだ。
賞味期限や産地の偽装、売れ残りの再販売という事態は、企業が自らの価値の範囲に、消費者の存在を十分に入れていないところから生じる。これは、外食の一般化と隆盛の流れとも関係している。
外食する消費者の要請に、外食産業のほうが応え切れていない。「食」が家庭から社会へと拡大して、消費者も家庭での「食」を軽視しはじめたことのツケを払わされているのであり、一方で、外食の企業は、まだ「食」を担うことの重要性(これこそ企業価値を形成する)に十分には気づいていないのだ。
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表示偽装と外食の隆盛
2007年11月15日 13:22 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
政治リーダーの重圧
福田首相と小沢代表の「大連立」に向けた政治的賭けが一瞬、クロスして、実ることなくいったん遠ざかった。この両者の接近には、「旧来の政治的野合への後退」「安全保障上の重要な選択を密室で決めようとする、許されざる行為」と批判が強い。
産経新聞紙上では、櫻井よしこさんが「首相は国会で小沢氏の主張を論破せよ。信念をもって、衆議院の3分の2条項を用いる覚悟で閉塞状況を打破せよ。その信念をこそ、国民に問え」と述べ、田久保忠衛さんも、連立構想での福田首相の妥協ぶりを「理念なき政権のみせた醜態」と断じている。
小沢代表の辞任表明ー撤回留任というのも、いかにも子供っぽく、党首失格と言う批判も当然出てくるだろう。大連立から、一転、衆院選での決戦態勢といっても、それだけ求心力をもてるかどうか。
自民党にとっては、戦後レジームからの脱却という大きな政治目標を掲げた安倍政権の思わぬ挫折と、それによる「中断」がやはり大きい。福田首相の選択肢はきわめて限られている。そのなかでの大連立構想ということはみておくべきことだろう。策略的なにおいはするとしても。
小沢代表は留任会見で、大連立ー政権協議の考えが役員会でにべもなく拒否されて「プッツンした」と語ったが、小沢さんの中には、なんとしても政権をとりたいが、まだまだ若い民主党には、厳しい衆院選で勝てる力量がない。ならば、この閉塞した政治状況を逆手にとって連立協議にのってみるのも一つの選択ではないか、という切羽詰った思いがあったにちがいない。
そこに党内説得の手続きや、国民への説明といった配慮を欠いたところが、独断・密室といわれる理由だが、ここに党首という政治リーダーの孤独と重圧をみることも可能だろう。安倍元首相の場合も、立場や状況の違いはあるものの、自らの政治信条・目標とするところと、政治の現状とのギャップに追い込まれていく、という事態は共通している。
現在の日本の政治的な状況が、政治理念・信条を通そうとすると、現実政治(政治勢力の思惑)の壁に突き当たり、引き裂かれて閉塞する、というところにあることはよく認識しておくべきことではないか。
産経新聞紙上では、櫻井よしこさんが「首相は国会で小沢氏の主張を論破せよ。信念をもって、衆議院の3分の2条項を用いる覚悟で閉塞状況を打破せよ。その信念をこそ、国民に問え」と述べ、田久保忠衛さんも、連立構想での福田首相の妥協ぶりを「理念なき政権のみせた醜態」と断じている。
小沢代表の辞任表明ー撤回留任というのも、いかにも子供っぽく、党首失格と言う批判も当然出てくるだろう。大連立から、一転、衆院選での決戦態勢といっても、それだけ求心力をもてるかどうか。
自民党にとっては、戦後レジームからの脱却という大きな政治目標を掲げた安倍政権の思わぬ挫折と、それによる「中断」がやはり大きい。福田首相の選択肢はきわめて限られている。そのなかでの大連立構想ということはみておくべきことだろう。策略的なにおいはするとしても。
小沢代表は留任会見で、大連立ー政権協議の考えが役員会でにべもなく拒否されて「プッツンした」と語ったが、小沢さんの中には、なんとしても政権をとりたいが、まだまだ若い民主党には、厳しい衆院選で勝てる力量がない。ならば、この閉塞した政治状況を逆手にとって連立協議にのってみるのも一つの選択ではないか、という切羽詰った思いがあったにちがいない。
そこに党内説得の手続きや、国民への説明といった配慮を欠いたところが、独断・密室といわれる理由だが、ここに党首という政治リーダーの孤独と重圧をみることも可能だろう。安倍元首相の場合も、立場や状況の違いはあるものの、自らの政治信条・目標とするところと、政治の現状とのギャップに追い込まれていく、という事態は共通している。
現在の日本の政治的な状況が、政治理念・信条を通そうとすると、現実政治(政治勢力の思惑)の壁に突き当たり、引き裂かれて閉塞する、というところにあることはよく認識しておくべきことではないか。
2007年11月08日 12:09 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
幼児虐待は、寂しい
人の子供を預かって育てることには、自分の子供を育てる以上に愛情と忍耐とがいる、ということが現代の日本ではもはや通用しなくなった。かつては、子供を宝物のようにしていつくしむ心が、広く多くの人に当然のこととして共有されていたから、子供を預かって立派に育てることも広く行われた。
自分の子供であっても虐待して殺すのだから、この若い施設長においておや、かもしれない。家族、あるいは家庭が崩壊し始めて、この解体はいったいどこまで進行するのだろうか。結婚はしたい、子供は好きで育てたい、だが、家族あるいは家庭が形成できない、という深刻な問題も広がっている。
きょうの産経新聞のオピニオンプラザに「家庭の料理が『心』を育てる」という武藤富美さん(福岡県、主婦)の入選作が載っている。
「食は体を創り、心を育て、家庭を築き、命繋ぐ柱」
「家庭料理は技術と心をつたえる過程が見え、感動と感謝や感性が生まれる」
外食がはやり、できあいのものを買った方が安いし、早いし、便利だ。そうこうしているうちに、家庭料理の食卓が消えた、あるいは「個食」の寂しい光景と化した。
もちろん、たまの外食はうれしいし、忙しければできあいもやむをえない(調理しだいではおいしい)が、ベースは家庭の料理だ。
武藤さんは「食べ物は自分が食べるだけでなく、人と地域と自然と繋がるものだとの想いは深く」と述べている。
自然と自然を耕す農と、食と食で生きる身体についての、もっとおおらかで豊かなイメージを作り直さないと、このままでは、自然も身体も家族も、機能性と効率性に追いまくられて、寂しく切り離された個体へと限りなく解体されていってしまうだろう。
自分の子供であっても虐待して殺すのだから、この若い施設長においておや、かもしれない。家族、あるいは家庭が崩壊し始めて、この解体はいったいどこまで進行するのだろうか。結婚はしたい、子供は好きで育てたい、だが、家族あるいは家庭が形成できない、という深刻な問題も広がっている。
きょうの産経新聞のオピニオンプラザに「家庭の料理が『心』を育てる」という武藤富美さん(福岡県、主婦)の入選作が載っている。
「食は体を創り、心を育て、家庭を築き、命繋ぐ柱」
「家庭料理は技術と心をつたえる過程が見え、感動と感謝や感性が生まれる」
外食がはやり、できあいのものを買った方が安いし、早いし、便利だ。そうこうしているうちに、家庭料理の食卓が消えた、あるいは「個食」の寂しい光景と化した。
もちろん、たまの外食はうれしいし、忙しければできあいもやむをえない(調理しだいではおいしい)が、ベースは家庭の料理だ。
武藤さんは「食べ物は自分が食べるだけでなく、人と地域と自然と繋がるものだとの想いは深く」と述べている。
自然と自然を耕す農と、食と食で生きる身体についての、もっとおおらかで豊かなイメージを作り直さないと、このままでは、自然も身体も家族も、機能性と効率性に追いまくられて、寂しく切り離された個体へと限りなく解体されていってしまうだろう。
2007年11月06日 15:44 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
福田・小沢の政治的賭け
小沢さんの辞任表明で、政局は一気に不透明になった。しかし、この状態はさほど悪くはないのではないか。というのは、福田首相も、小沢代表も、いわば自らの政治信条に基づく賭けに出て、次の時代に向けて活路を開くという、まずは積極的な姿勢をとったからだ。
福田首相にとって、連立構想の下に政策協議に踏み込むというのは、大きな賭けであったにちがいない。それは政権をとりにいったときからの、戦略であり、これしかないという選択であった。一方、小沢代表にとっても、ここは日本の政治の大きな課題を一歩前へ踏み出す、重要な機会とみえた。
小沢さんは会見の中で「国連の活動以外は軍隊を派遣しないというのは、今までの政府の方針の大転換であり、憲法解釈の大転換だ」といっている。これは、単なる策略と言うことではないだろう。福田さんも、恒久法ができれば、テロ特措法の成立に必ずしもこだわらないと明言するのは、大きな決断だろう。
もちろん、両者の決断が、もっと大きな政治理念からして適切かどうかという議論はある。硬直した政治状況の打開のために、両者の思惑が一致したところへ落とし込んだという策略的な臭いがしないでもない。
小沢さんは、民主党はまだまだ若いので、連立政権でもまれ鍛えられれば、党としても力がつくといったことも言っているが、これもとってつけた論理のようにみえる。
しかし、いずれにしろ、福田首相も小沢代表も自らの信条を明らかにして、動いた。政治が広く見えているという状態は悪いことではない。という意味からすれば、小沢さんももっと説明責任を果たすべきだろう。マスコミ批判までぶちあげたが、いきなり辞任表明の会見ではなく、記者を集めて、コトの重要性と自らの信条を訴える機会はいくらでもあったのではないか。
民主党内についても同じだ。いかに党役員のレベルが自分の信念の領域まで達していないからといって、やってられない、やめますよ、では、あまりに「高貴なる孤立」ではないか。産経新聞の政治部長が「小沢時代の終わりの予感」と題して書いているが、こうも言いたくなるだろう。
福田首相にとって、連立構想の下に政策協議に踏み込むというのは、大きな賭けであったにちがいない。それは政権をとりにいったときからの、戦略であり、これしかないという選択であった。一方、小沢代表にとっても、ここは日本の政治の大きな課題を一歩前へ踏み出す、重要な機会とみえた。
小沢さんは会見の中で「国連の活動以外は軍隊を派遣しないというのは、今までの政府の方針の大転換であり、憲法解釈の大転換だ」といっている。これは、単なる策略と言うことではないだろう。福田さんも、恒久法ができれば、テロ特措法の成立に必ずしもこだわらないと明言するのは、大きな決断だろう。
もちろん、両者の決断が、もっと大きな政治理念からして適切かどうかという議論はある。硬直した政治状況の打開のために、両者の思惑が一致したところへ落とし込んだという策略的な臭いがしないでもない。
小沢さんは、民主党はまだまだ若いので、連立政権でもまれ鍛えられれば、党としても力がつくといったことも言っているが、これもとってつけた論理のようにみえる。
しかし、いずれにしろ、福田首相も小沢代表も自らの信条を明らかにして、動いた。政治が広く見えているという状態は悪いことではない。という意味からすれば、小沢さんももっと説明責任を果たすべきだろう。マスコミ批判までぶちあげたが、いきなり辞任表明の会見ではなく、記者を集めて、コトの重要性と自らの信条を訴える機会はいくらでもあったのではないか。
民主党内についても同じだ。いかに党役員のレベルが自分の信念の領域まで達していないからといって、やってられない、やめますよ、では、あまりに「高貴なる孤立」ではないか。産経新聞の政治部長が「小沢時代の終わりの予感」と題して書いているが、こうも言いたくなるだろう。
2007年11月05日 11:12 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
企業経営における世界レベル
中部電力社員のうつ病・自殺をめぐる訴訟の控訴審で、再度、被告の主張が認められた。「行過ぎた指導や長時間労働が心身に過重な負担を及ぼし、うつ病の発症と自殺には、業務起因性が認められる」というものだ。
どの企業にとっても、パワハラやセクハラ、それにうつ病といった問題への取り組みは重要なものになっている。それだけ深刻な状況になっているということで、多くの企業が健康相談室を設け、専門家を置いて、真剣に対策につとめている。
しかし、一方で企業は効率的な経営を求められ、成果をあげるために、社員をより有効な人的資源と考えることを余儀なくされている。そのことが、個々の社員に過重な負担を強いる結果になっていることも否めない事実だ。
こうした悪循環ともいえる「会社経営」「組織のあり方」「会社人間」に対して、何かもっと抜本的な方策といったものはないのか。
企業経営の論客として定評のある、前花王会長の常盤文克さんの「日本人を苦しめる『人』と『会社人』のギャップ~企業民俗学が求められている」(日経ビジネスオンライン)に目がとまった。
常盤さんはこう言っている
「企業における人は、単なる労働力や人的資源という言葉では片付けられない存在です。事実、一昔前の日本企業は人を重視し、個性を引き出そうとする大家族主義的な経営スタイルが一般的でした。 ところが米国流の経営スタイルが浸透するようになってから、人を重視する発想が薄れてきているようにお思います。もちろん米国流の経営をうまく取り入れたことで、日本経済が大きく成長してきたことも事実です。しかし、それが結果的に社員を疲弊させ、閉塞感を生む一因となっていることを忘れてはなりません」
続けて
最近のビジネス論には、人の心とか感性といった「情」の部分が入ってこない。しかし、「人は『理』だけで動くでしょうか。情と理を対立概念で捉えるのではなく、両者を一体化していく経営手法が問われます。難しくとも企業はこれに挑戦すべきだと思います」
非常に優れた見解だと思う。もはや日本企業も、米国流の世界レベルの規準を導入せざるを得ない。しかし、これは決して、唯一つの世界標準なのではない。さらに求められている世界レベルは、『理』に勝ちすぎた論理ではなく、情と理を対立からさらに高次の統合された(一体化した)レベルまでもっていくことだ。
この課題は、日本企業こそが目標に掲げ、常盤さんが言うように、これに挑戦していくべきものだ。これが、まさに世界レベルであることは言うまでもない。
常盤さんは、具体的な一体化の方法についても述べておられる。ひとことでいえば、会社という組織があって、社員という人材がいるのでなく、個々の多様な個性や意欲をもった人間がいて、組織があるということだ。
ゆえに、その多様性をそこなわず、それを生かす工夫(統合的な組み方)を、組織のほうこそが考えるべきだということになる。
どの企業にとっても、パワハラやセクハラ、それにうつ病といった問題への取り組みは重要なものになっている。それだけ深刻な状況になっているということで、多くの企業が健康相談室を設け、専門家を置いて、真剣に対策につとめている。
しかし、一方で企業は効率的な経営を求められ、成果をあげるために、社員をより有効な人的資源と考えることを余儀なくされている。そのことが、個々の社員に過重な負担を強いる結果になっていることも否めない事実だ。
こうした悪循環ともいえる「会社経営」「組織のあり方」「会社人間」に対して、何かもっと抜本的な方策といったものはないのか。
企業経営の論客として定評のある、前花王会長の常盤文克さんの「日本人を苦しめる『人』と『会社人』のギャップ~企業民俗学が求められている」(日経ビジネスオンライン)に目がとまった。
常盤さんはこう言っている
「企業における人は、単なる労働力や人的資源という言葉では片付けられない存在です。事実、一昔前の日本企業は人を重視し、個性を引き出そうとする大家族主義的な経営スタイルが一般的でした。 ところが米国流の経営スタイルが浸透するようになってから、人を重視する発想が薄れてきているようにお思います。もちろん米国流の経営をうまく取り入れたことで、日本経済が大きく成長してきたことも事実です。しかし、それが結果的に社員を疲弊させ、閉塞感を生む一因となっていることを忘れてはなりません」
続けて
最近のビジネス論には、人の心とか感性といった「情」の部分が入ってこない。しかし、「人は『理』だけで動くでしょうか。情と理を対立概念で捉えるのではなく、両者を一体化していく経営手法が問われます。難しくとも企業はこれに挑戦すべきだと思います」
非常に優れた見解だと思う。もはや日本企業も、米国流の世界レベルの規準を導入せざるを得ない。しかし、これは決して、唯一つの世界標準なのではない。さらに求められている世界レベルは、『理』に勝ちすぎた論理ではなく、情と理を対立からさらに高次の統合された(一体化した)レベルまでもっていくことだ。
この課題は、日本企業こそが目標に掲げ、常盤さんが言うように、これに挑戦していくべきものだ。これが、まさに世界レベルであることは言うまでもない。
常盤さんは、具体的な一体化の方法についても述べておられる。ひとことでいえば、会社という組織があって、社員という人材がいるのでなく、個々の多様な個性や意欲をもった人間がいて、組織があるということだ。
ゆえに、その多様性をそこなわず、それを生かす工夫(統合的な組み方)を、組織のほうこそが考えるべきだということになる。
2007年10月31日 13:07 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)

産経新聞社で社会部記者のあと、朝刊編集長などを経験。その後、畑違いの総合企画室、総務局で仕事をし、2008年6月からニュースペース・コム社の社長。これまでの職業経験からいえば、これも予想外の展開。しかし、広告業界、それもクロスメデイアを標榜する世界に足を踏み入れて、いろいろと勉強しながら、結構楽しんでいます。
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