青木功が65歳で日本シニアオープンを制した。最終日、最終ホールのあの6メートル、フックラインを沈めた、心技一体の凝縮された「究極のパット」は見事と言うほかなかった。
65歳のエージシュートでの優勝も感服するばかりだが、これは世界のアオキにとってみれば「おれも若いね、見上げたもんだ」と、あっさり言ってのけるようなことだろう。そのことよりも、インタビューで「好きこそ、ものの上手なれ。これは地でいかないと駄目なんだ」と答えていたのが印象に残った。
青木の独特のスイングスタイルはよく知られている。この独自のスタイルで世界レベルで十分に闘い、今回は、その自在なスタイルと、パットの魔術師の異名を究極といえるまでに発揮して見せた。これが青木の「地でいく」ということなのだろう。
プロスポーツの世界も技術の開発・研究の世界でも、世界のレベルで闘うというのは並大抵ではない。しかし、世界標準といわれるものは、必ずしも世界レベルということではない。グローバリズムは、単にアメリカンスタイルということも多い。
肝要なのは、やはり独自性ということではないか。その独自性を、まさに自分にあった「地でいく」ことに徹したところで、その心技一体は、世界的なレベルへと通じていくということだろう。
世界レベルというのは、その水準に達した複数の独自性を、相互に承認しあうところに成立するのであって、ある優位なスタイルがどこにでも通用する、ということをいうのではない。
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「究極のパット」は賞賛に値する
2007年10月29日 13:13 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
この改革をゆるめるのはおかしい
防衛省の守屋前事務次官が、倫理規定をハナから無視したかのような厚顔無恥の業者癒着を繰り返し、中央官僚の腐敗と堕落と責任意識の崩壊がこれほど進行しているのに、公務員制度や行政法人改革の手をゆるめてしまうというのは、いったいどうしたことなのだろう。
福田政権は「行革は票に影響しない」と考えているのなら、これは大違いではないか。こんなゆるゆるでは、次の選挙でまた手痛い目にあうだろう。構造改革による「ひずみ」を緩和する手立てが必要と言うのは、まだ分かるが、公務員制度改革はさらにドラスティックにやらなければならないことではないか。
それは、誰の目にも明らかなのではないか。どこに政治が「官僚寄り」になる必要があるのだろう。キャリア制度の廃止、天下りの渡りの禁止など、当然実現すべきことでしょう。
それにしても、守屋さんという人は、どういう神経の持ち主なのか。みえみえの業者癒着が、汚職にも通じる疑惑と言うのは、子どもでも分かることだ。それを、犯して当然としているのは、守屋さんが、自分だけはそういう範疇から除外されている、と考えていたと理解するほかない。倫理規定も、この人には適用されないのだろう。これは、特権意識にさらに輪をかけたおそるべき特権意識というほかはない。
自分だけは、ルールを決める立場にはあってもルールを適用される立場にはない、それを自分だけは超越しているというのは、あらゆる権力の独裁に通じる道である。それはもう20世紀に清算したことではなかったのか。それがいまも日本の官僚組織の中にあるのなら、そのキャリア制度は廃止されて当然なのではないか。
福田政権は「行革は票に影響しない」と考えているのなら、これは大違いではないか。こんなゆるゆるでは、次の選挙でまた手痛い目にあうだろう。構造改革による「ひずみ」を緩和する手立てが必要と言うのは、まだ分かるが、公務員制度改革はさらにドラスティックにやらなければならないことではないか。
それは、誰の目にも明らかなのではないか。どこに政治が「官僚寄り」になる必要があるのだろう。キャリア制度の廃止、天下りの渡りの禁止など、当然実現すべきことでしょう。
それにしても、守屋さんという人は、どういう神経の持ち主なのか。みえみえの業者癒着が、汚職にも通じる疑惑と言うのは、子どもでも分かることだ。それを、犯して当然としているのは、守屋さんが、自分だけはそういう範疇から除外されている、と考えていたと理解するほかない。倫理規定も、この人には適用されないのだろう。これは、特権意識にさらに輪をかけたおそるべき特権意識というほかはない。
自分だけは、ルールを決める立場にはあってもルールを適用される立場にはない、それを自分だけは超越しているというのは、あらゆる権力の独裁に通じる道である。それはもう20世紀に清算したことではなかったのか。それがいまも日本の官僚組織の中にあるのなら、そのキャリア制度は廃止されて当然なのではないか。
2007年10月24日 20:49 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
「新聞広告も戦う時代」
電通の高嶋社長がインタビューに答えて、「クロスメデイアによる広告や販売促進を広告主に提案できるクリエーターや営業マンが求められており、『ストラテジスト(戦略家)』の育成が最大の課題です」と述べている。
インターネット広告の台頭、影響力の増大に、どう対処するかという質問のなかで、高嶋社長は「ネット検索機能を使えば情報は数多く集まりますが、基本情報を判断する玄関口の役割を果たすのはやはり4媒体(テレビと新聞、ラジオ、雑誌)」「つまりは携帯電話、ネット、4媒体など複数のメデイアを組み合わせた企画をどう提案できるかがカギになります」と答えて、電通においては「人がパワーの源泉」だから、最初にあげたマンパワーの育成が課題なのだと語っている。
高嶋社長は「取り組みは始まったばかり」とも話している。クロスメデイアの考え方は何も新しいことではないが、日本最大の広告会社が「クロスメデイアの戦略家を育成していくのだ」と語ることには、大きな意味があると思う。
10月20日は「新聞広告の日」だった。産経新聞は前日の19日付けで作家・作詞家の秋元康さんに「新聞広告への注文」を聞いている。
このなかで、秋元さんは「新聞も(既存の)ルールを壊していい時代に来ているのではないか」と述べ、テレビも最近「スポンサー枠と番組の中身を連動させる方向性で揺れている」と指摘。それは「制作と編成と営業がはっきり分かれている」からで「コンテンツの連動ができていない。新聞社も同じ」と言う。
秋元さんは「たとえば、スポーツ面のある記事の隣に、次世代DVD規格のせめぎ合いにからめた情報機器の話がドンと載ったら、効果的ではないですか」と、刺激的なアイデアを述べ、「それでもまだ、アザトさではゆるい。実は、時代はそこまで来ています」と話している。
クロスメデイアに可能性を見るなら、新聞も大きく変わらなければならない。「新聞の中の既存の枠組み、ルール」を取っ払うほどの戦いをしなければならない、というのが秋元さんの注文であった。
インターネット広告の台頭、影響力の増大に、どう対処するかという質問のなかで、高嶋社長は「ネット検索機能を使えば情報は数多く集まりますが、基本情報を判断する玄関口の役割を果たすのはやはり4媒体(テレビと新聞、ラジオ、雑誌)」「つまりは携帯電話、ネット、4媒体など複数のメデイアを組み合わせた企画をどう提案できるかがカギになります」と答えて、電通においては「人がパワーの源泉」だから、最初にあげたマンパワーの育成が課題なのだと語っている。
高嶋社長は「取り組みは始まったばかり」とも話している。クロスメデイアの考え方は何も新しいことではないが、日本最大の広告会社が「クロスメデイアの戦略家を育成していくのだ」と語ることには、大きな意味があると思う。
10月20日は「新聞広告の日」だった。産経新聞は前日の19日付けで作家・作詞家の秋元康さんに「新聞広告への注文」を聞いている。
このなかで、秋元さんは「新聞も(既存の)ルールを壊していい時代に来ているのではないか」と述べ、テレビも最近「スポンサー枠と番組の中身を連動させる方向性で揺れている」と指摘。それは「制作と編成と営業がはっきり分かれている」からで「コンテンツの連動ができていない。新聞社も同じ」と言う。
秋元さんは「たとえば、スポーツ面のある記事の隣に、次世代DVD規格のせめぎ合いにからめた情報機器の話がドンと載ったら、効果的ではないですか」と、刺激的なアイデアを述べ、「それでもまだ、アザトさではゆるい。実は、時代はそこまで来ています」と話している。
クロスメデイアに可能性を見るなら、新聞も大きく変わらなければならない。「新聞の中の既存の枠組み、ルール」を取っ払うほどの戦いをしなければならない、というのが秋元さんの注文であった。
2007年10月22日 19:51 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
なるほど戦略的PR、か
前回、インテグレート代表、藤田康人さんの論に対する須田さん(サイバーエージェント)の異論の話を書いたが、その藤田さんが持論である「広告ではない戦略的PR」について解説をしている(日経ビジネスオンライン)。これがなかなか示唆に富んでいる。
PR(パブリック・リレーション)というと、まだ多くの人が広報と答えるが、藤田さんは、「戦略的PR」「マーケッティングPR」と呼んで、広報とは一線を画すという。
その一線というのは、企業の製品・サービスに限った情報なのか、その情報に公共性や社会性が加わっているかの違いのことだ。
「こんな新製品を出しました」「自社の製品はこんな特徴があります」というレベルの情報では、それほど社会性があるとはいえない。そこで、戦略的PRには、メデイア側が、番組や記事というコンテンツの中に組み込む必然のあるストーリー作りとして、「情報クリエイティブ」が必要になる、という。
このクリエイティブの内容について、いろいろと考え方や手法が語られているが、私が納得したのは、戦略的PRのチームに業界に通じ、専門家とコミュニケーションが取れる人材が必要との指摘だ。
私の考えでは、企業の広告情報と、一般的な記事や番組になりうる情報との間に本来は区別はないはずなのだ。なぜなら、企業の情報発信もマスコミ(メデイア)としての情報発信も、同じ大きな社会の中にあるからで、本来は同等の価値を持つものだ。それを、区別しているのは、ひとつの企業の限定された商品やサービスに関する情報か、そうではなく、ある広がりを持った情報か、の違いに過ぎない。ということは、広告情報であっても、それに社会的な視点や広がりを付加することができれば、一般の記事(番組)コンテンツに転化するはずなのだ。
その視点というのが、ひとつはいうまでもなく「消費者の視点」であり、もうひとつはその領域の専門家の視点だ。このふたつの視点が、情報に公共性や社会性、あるいは話題性としての広がりをあたえてくれる、ということになる。
PR(パブリック・リレーション)というと、まだ多くの人が広報と答えるが、藤田さんは、「戦略的PR」「マーケッティングPR」と呼んで、広報とは一線を画すという。
その一線というのは、企業の製品・サービスに限った情報なのか、その情報に公共性や社会性が加わっているかの違いのことだ。
「こんな新製品を出しました」「自社の製品はこんな特徴があります」というレベルの情報では、それほど社会性があるとはいえない。そこで、戦略的PRには、メデイア側が、番組や記事というコンテンツの中に組み込む必然のあるストーリー作りとして、「情報クリエイティブ」が必要になる、という。
このクリエイティブの内容について、いろいろと考え方や手法が語られているが、私が納得したのは、戦略的PRのチームに業界に通じ、専門家とコミュニケーションが取れる人材が必要との指摘だ。
私の考えでは、企業の広告情報と、一般的な記事や番組になりうる情報との間に本来は区別はないはずなのだ。なぜなら、企業の情報発信もマスコミ(メデイア)としての情報発信も、同じ大きな社会の中にあるからで、本来は同等の価値を持つものだ。それを、区別しているのは、ひとつの企業の限定された商品やサービスに関する情報か、そうではなく、ある広がりを持った情報か、の違いに過ぎない。ということは、広告情報であっても、それに社会的な視点や広がりを付加することができれば、一般の記事(番組)コンテンツに転化するはずなのだ。
その視点というのが、ひとつはいうまでもなく「消費者の視点」であり、もうひとつはその領域の専門家の視点だ。このふたつの視点が、情報に公共性や社会性、あるいは話題性としての広がりをあたえてくれる、ということになる。
2007年10月18日 19:11 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)
異なるメデイアは相乗する
「初音ミク」に関心があるわけではないが、このバーチャル歌手を生み出したソフト制作会社の代表が、初音ミク現象をとりあげたTBS系「アッコにおまかせ!」を批判したのには興味をもった。
番組には制作会社の意図するところは伝わらず、逆にこの人気を支えているオタク叩きの悪意ばかりがみえたというものだ。代表は、TBS側に「当初から、(初音ミクに)興味がなかったし、愛着もなかった」「(当社の)マスコミに対する認識の甘さが露呈する形となってしまいました」と嘆いている。
ネットを中心としたメデイアとテレビや新聞といったマスメデイアとの間で、このような確執というか、こぜりあいというか、そういう行き違いはこれからもしょっちゅう起きることだろう。このバーチャル歌手は動画投稿サイト「ニコニコ動画」で人気が急騰したそうだが、こうした現象にマスメデイア側が無理解であったり無関心であったりというのはありうることだ。制作会社の代表が「自分たちのマスコミへの認識が甘かった」と言うのは、マスメデイアへの信頼や善意の期待があったのに、それが裏切られたということだろう。
一方で、ネット系の人たち、それを好む人たちの間に、きわめて閉鎖的な、架空の世界で自足してしまう傾向が強いことも否めない。もちろん、バーチャルに対してリアルがあり、このリアルの世界のほうが重いのだなどと言う気はない。マスメデイアも、こちらがリアルなどという権利も根拠もないのであって、このほうがよほど真実や事実から遠いということもあるのだ。
しかし、ネットとテレビや新聞といったマスとの間に対立ではなく、互いに効果的に影響しあう相乗といった関係はありえないのだろうか。
日経ビジネスオンラインで、キリシトールの仕掛け人として知られるインテグレート代表・藤田康人さんの「楽しいテレビ広告ありがとう。でも商品は買わないよ」という論に対して、同じく広告についての論陣を張る須田伸さんが異論を提起している。
藤田さんの論のなかに「ある飲料ブランドがミクシーで、製品コミュ二ティーを開設し、すごいアクセス数を稼ぎ出し成功事例としてマーケッティングの世界で話題になりました。ところが、その製品の販売は全く増えませんでした」とあるのに、須田さんが、「私はそうは思いません。広告は、商品の売上を伸ばすための要素の一つではありますが、すべてではありません。オールorナッシングで議論するのは非常に危険な気がします」と反論。
須田さんは、広告の効果は1年、2年後、さらには広告の質の高さによっては10年、20年後にも現れるものだといい、「人の購買というのは、単純な損得だけではありません。ブランドというものは、その単純な損得を超えたところにある」と強調しています。
もちろん、藤田さんの論も、何も短期的な効果や販売数量の増加を広告の本来の目的だといっているわけではありません。むしろ、広告における時間の持つ価値などという点では、考え方は同じなのではないか。
ところで、須田さんが言う長い時間をかけて醸成されるブランドという価値、はとても重要なことだと思います。
デジタルの切り刻まれた時間は、すべてを数字化する効率と瞬間的な効果をもたらしますが、アナログのもつ波動のゆらぎや時間の蓄積がもたらす厚みを弾き飛ばす傾向があります。本来、これはそうあるべきものではないはずです。効率と厚みが共存する、いやそれによって相乗する統合的なあり方があるはずです。
異なるメデイアが、まさにクロスする、そのクロスメデイアの領域は、中間的な場所なのではなく、もともと本来的な、統合的な場所であるべきでしょう。
番組には制作会社の意図するところは伝わらず、逆にこの人気を支えているオタク叩きの悪意ばかりがみえたというものだ。代表は、TBS側に「当初から、(初音ミクに)興味がなかったし、愛着もなかった」「(当社の)マスコミに対する認識の甘さが露呈する形となってしまいました」と嘆いている。
ネットを中心としたメデイアとテレビや新聞といったマスメデイアとの間で、このような確執というか、こぜりあいというか、そういう行き違いはこれからもしょっちゅう起きることだろう。このバーチャル歌手は動画投稿サイト「ニコニコ動画」で人気が急騰したそうだが、こうした現象にマスメデイア側が無理解であったり無関心であったりというのはありうることだ。制作会社の代表が「自分たちのマスコミへの認識が甘かった」と言うのは、マスメデイアへの信頼や善意の期待があったのに、それが裏切られたということだろう。
一方で、ネット系の人たち、それを好む人たちの間に、きわめて閉鎖的な、架空の世界で自足してしまう傾向が強いことも否めない。もちろん、バーチャルに対してリアルがあり、このリアルの世界のほうが重いのだなどと言う気はない。マスメデイアも、こちらがリアルなどという権利も根拠もないのであって、このほうがよほど真実や事実から遠いということもあるのだ。
しかし、ネットとテレビや新聞といったマスとの間に対立ではなく、互いに効果的に影響しあう相乗といった関係はありえないのだろうか。
日経ビジネスオンラインで、キリシトールの仕掛け人として知られるインテグレート代表・藤田康人さんの「楽しいテレビ広告ありがとう。でも商品は買わないよ」という論に対して、同じく広告についての論陣を張る須田伸さんが異論を提起している。
藤田さんの論のなかに「ある飲料ブランドがミクシーで、製品コミュ二ティーを開設し、すごいアクセス数を稼ぎ出し成功事例としてマーケッティングの世界で話題になりました。ところが、その製品の販売は全く増えませんでした」とあるのに、須田さんが、「私はそうは思いません。広告は、商品の売上を伸ばすための要素の一つではありますが、すべてではありません。オールorナッシングで議論するのは非常に危険な気がします」と反論。
須田さんは、広告の効果は1年、2年後、さらには広告の質の高さによっては10年、20年後にも現れるものだといい、「人の購買というのは、単純な損得だけではありません。ブランドというものは、その単純な損得を超えたところにある」と強調しています。
もちろん、藤田さんの論も、何も短期的な効果や販売数量の増加を広告の本来の目的だといっているわけではありません。むしろ、広告における時間の持つ価値などという点では、考え方は同じなのではないか。
ところで、須田さんが言う長い時間をかけて醸成されるブランドという価値、はとても重要なことだと思います。
デジタルの切り刻まれた時間は、すべてを数字化する効率と瞬間的な効果をもたらしますが、アナログのもつ波動のゆらぎや時間の蓄積がもたらす厚みを弾き飛ばす傾向があります。本来、これはそうあるべきものではないはずです。効率と厚みが共存する、いやそれによって相乗する統合的なあり方があるはずです。
異なるメデイアが、まさにクロスする、そのクロスメデイアの領域は、中間的な場所なのではなく、もともと本来的な、統合的な場所であるべきでしょう。
2007年10月16日 11:55 | パーマリンク | コメント(0) | トラックバック(0)

産経新聞社で社会部記者のあと、朝刊編集長などを経験。その後、畑違いの総合企画室、総務局で仕事をし、2008年6月からニュースペース・コム社の社長。これまでの職業経験からいえば、これも予想外の展開。しかし、広告業界、それもクロスメデイアを標榜する世界に足を踏み入れて、いろいろと勉強しながら、結構楽しんでいます。
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